柏崎の工業紹介

柏崎にはものづくりの集積があります。明治中期に設立された日本石油会社(現ENEOSホールディングス(株))が立地したことに始まります。

現在、柏崎市の製造業の中核となっている加工組立型産業の誕生は、この日本石油会社が当初海外に依存していた製油機器、さく井機、油槽などを社内で生産するため、(株)新潟鉄工所柏崎分工場(現日本フローサーブ(株))を設立したことに始まり、昭和初期までにはその基礎が形成されました。

当時の日本石油柏崎

当時の日本石油柏崎

理化学興業の設立に尽力した大河内正敏博士

理化学興業の設立に尽力した
大河内正敏博士

一方、昭和2(1927)年に理化学研究所が、その研究成果の企業化の拠点として設立した理化学興業(現(株)リケン)が本市に進出し、ピストンリング、切削工具、電線などの量産を開始し、市内に広範な関連企業群を形成しました。

また、大正末期に設立された食料品製造業の北日本製菓(株)(現(株)ブルボン)は、独自技術により菓子などの食品メーカーとして成長し、現在に至っています。

石油製造業は昭和30年代以降衰退し、昭和34(1959)年には石油ストーブメーカーの(株)内田製作所柏崎工場(現(株)コロナ)、昭和44(1969)年には精密機械器具製造業のシルバー精工(株) (現柏崎ユーエステック(株))、昭和48(1973)年には電気機械器具製造業の(株)柏崎製作所(のちの新潟日本電気(株))、昭和51(1976)年には金属製品製造業の(株)加藤スプリング製作所柏崎工場(現(株)アドバネクス)などが本市に進出し、本市の製造業は一層集積を拡大しました。

これらの製造業は現在、市内に約226(経済産業省「2023年経済構造実態調査(製造業事業所調査)」)集積し、中でも自動車産業の発展との関連が深いはん用機械器具製造業は、本市の製造業の中核となっています。

特に(株)リケン柏崎事業所が、他社の追随を許さぬピストンリング製造技術を持ち、国内のピストンリングの5割、世界でも第3位のシェアを誇り、関連企業群とともに、本市の製造業の機軸をなしています。

これら大手関連企業以外にも、伸線機、エンジンのアルミダイキャスト金型、超精密プレス加工など、高度な特殊技術を有する地元企業も多く集積しています。 また、全国的に少なくなってきている大物金属加工を得意とする企業も存在しています。

さらに、近年では昭和60(1985)年9月に営業運転を開始した世界最大規模の東京電力ホールディングス(株)柏崎刈羽原子力発電所(現在は全号機停止中)のメンテナンスに伴う資機材の受注では、ISO以上の厳しい品質基準である「原子力発電所の品質保証指針」をクリアするなど、技術の高度化を図っています。

i_006.jpg

東京電力ホールディングス(株)
柏崎刈羽原子力発電所

柏崎フロンティアパーク

柏崎フロンティアパーク
賃貸・分譲面積15ha

このほか、本市には4年生大学が2校立地していることから、共同研究などの産学連携による新分野展開を目指しています。そして、更なる産業の集積を目指し、新産業団地「柏崎フロンティアパーク」の分譲を平成20(2008)年4月から開始しました。

その進出第1号として、平成22(2010)年9月に(株)東芝の新型二次電池の量産工場が完成しました。その後、数年にわたり多くの企業がフロンティアパークへ進出したことにより、令和3年(2021)7月に分譲・賃貸率が100%となり、令和6(2024)年12月に全社が操業を開始しました。更なる地域産業の活性化と地元雇用の創出に大きな期待が寄せられています。

また、市内産業団地の空き区画が残りわずかになったことから、新たな産業団地造成の可能性を探るため、令和4(2022)年には産業団地適地調査を実施しました。その結果を基に令和6(2024)年には、国道8号バイパスに隣接する鯨波地内の市有地をベースとした「柏崎市鯨波産業団地整備基本構想」を策定しました。今後、企業誘致の新たな受け皿となる産業団地の造成に向けて、より具体的に取り組みを進めていきます。

このように、柏崎の工業は、切削加工、製缶、メッキ、鋳・鍛造、プレス、金型などの基礎技術がしっかりとしており、ものづくりの基礎が集積した地域であるとともに、地域産業の活性化に積極的であるまちです。